2024/08/23
ブログこんにちわ。合同会社元就の毛利直史です。
タイトルの通り、今日は安直すぎる会社名の由来について書いていこうと思います。
思い返せば1年前。起業にあたって、まず最初に考えたのが会社名でした。
当たり前ですが、会社名とは会社の顔であり、一般的にその名前には、
理念や思いがたくさん込められているはずです。
なので僕も、最初はいろいろな意味づけをしたりしてみて
それこそ200個ぐらい考えたのですが、
ふと、会社名と個人名がセットで覚えられるような名前が良いな、
と思った瞬間がありました。
というのも、会社員時代に、会社名は分かるけど個人名が分からない、
ということがよくあり(その逆もしかり)、
「あれ、あの人誰だっけ?」となるストレスがあったことを思い出したのです。
だったら、もういっそのこと会社名を覚えたら個人名も覚えられてしまう名前にしてしまえ、
ということで辿り着いたのが、この「元就」です。
(本当は、辿り着いたではなく一番手前にあったけど無視するのをやめた、が正解です)
しかし、会社名を元就にするとは決めたものの、
僕自身はこれまで毛利元就のことをよく知らずに生きていきました。
これは苗字が毛利の人あるあるだと勝手に思っているのですが、
日本中の毛利さんは絶対、思春期に1度は元就イジリをされたことがあるので、
無意識に毛利元就を避けて生きています。
もちろん僕も例に漏れず、
毛利元就のことを何も知らないまま40歳まで過ごしてきたのですが、
さすがに会社名にする手前、ある程度は毛利元就の人となりを知っておかないと、
と思って歴史マンガで勉強を始めました。
そしたら毛利元就、とんでもなくすごい人でした。
ざっくりいうと、戦国時代、卓越した政治力と軍事力で強敵を次々と破り、
中国地方のほぼ全域を一代で統一。とてつもない戦略家だったそうです。
それを知った途端に、なんてロマンに溢れる会社名だ、と惚れてしまい、
2023年6月5日、合同会社元就で法人登記するに至りました。
けど、その日の夜です。
僕はあることに気づき、とんでもない不安に襲われます。
というのも、僕が創業した栃木県は、徳川ゆかりの地です。
豪華絢爛な装飾で知られる日光東照宮は、
徳川家康を祀る総本山であり、栃木県民にとって最大の誇り。
もし過去に毛利との遺恨でもあれば、商売どころではありません。
しかも、僕はいま日光市民。下手をすれば、居住すら危ういかもしれない。
そんな不安に駆られて、次の日からまた歴史マンガを読み始めました。
で、結果的には無問題でした。
1600年、関ヶ原の戦いにおいて毛利家は徳川家と相まみえ、
家康率いる東軍が勝利を収めたそうです。
そして戦後、毛利家は幕府に協力することで、家康からの信頼を得ていたといいます。
最終的に、仲良くしてくれて本当によかった。
まさか家康も、400年後に安堵する人がいるとは思いもしなかったでしょう。
ちなみに、よく「毛利さんは毛利元就と関係があるのですか?」と、
聞かれることがありますが、分かりません。
そして、これからも調べるつもりはありません。
もし関係があったとしたら、なんか担いすぎてるし、
もし関係がなかったとしたら、なんかおこがましい。
なので、もうこれ以上、毛利元就につっこんでいくのは今後やらないつもりです。
これから先は、徳川の地に合同会社元就あり、ということで、
会社の発展と継続、そして地域貢献も視野に入れながら、
日々精進していこうと思っています。
そして夢みたいな話ですが、いつか日光東照宮の中に元就の看板出したいです。
いや、出して見せる。
ところで元就という会社名については、今のところ、
銀行で呼び出されるときに「元就様」と言われて
恥ずかしい思いをする以外はおおむね良好です。
というわけで、最後まで読んでいただきありがとうございました。
良かったらロゴと名前だけでも覚えて帰ってください。
毛利直史